部屋のものを減らす

いつも部屋が散らかっている。整頓されている時間は儚い。苦しい。と思って大型書店へ行って整理整頓や片付け、掃除の本の棚へ向かった。

ふだん書店で生活コーナーみたいなところを見ることがなかったため、この世ではあらゆることが書籍になっているんだな。と思った。お金の管理の仕方。健康の管理の仕方。部屋の管理の仕方。たしかに、いままでなんとなくオリジナルのやり方で生活すべてを回していたけど、生活は複雑で、マニュアルが必要で、みなもっと早い段階でマニュアルに辿り着いていたのかもしれない。

ひとまずこんまりさんの本をサッと立ち読みして、ハードコアすぎておそれを成してもう少し軟派な本を買った。

「死んでも床にモノを置かない」というタイトル。こういう大袈裟な物言いは好きじゃないけど、内容に私にもできそうと思わせるところがあったので買った。この本の良いところはあれをせよこれをせよというよりも「これをしてはならない」というところに重点を置いているところだ。

この本をすごい速さで読破して、気づいたことがある。うちにはものが多すぎるのだ。ものが多すぎるゆえ、収納が窮屈になっており、そこにものを直す動作が困難で、ものを出しっぱなしにする。そして部屋が乱雑になる。乱雑に耐えかねた頃、収納家具にとりあえず放り込む。このループだった。

「片付けるための収納用品は買わない」という節が1番自分に刺さった。わたしはむやみに服を買っては、ハンガーラックや衣装ケースを増やしていた。収納用品を増やすのではなく物を減らすのだ!そしてただちにわたしはIKEAのいちばん大きな袋に服を詰めた。思い出の服も、高かった服も、着ないと思ったものはすべて。それを古着屋に持って行って二束三文で買い取ってもらった。

あんな重量の服を売ったにも関わらず、すこしもクローゼットはスッキリしたように思えない。ここからは大変な作業だ。わかりやすくいらない服を先に処分したのだから、あとは処分するのが惜しいようなものしか残っていない。しかし、無慈悲に、不要なものは処分するのだ。快適な暮らしを得るために。

服だけでなく本も処分したいと思い、ひとまずは一度も読んでいない本を全て読むことにした。わたしは空白の時間が生じたときや電車に長時間乗る前になんとなくで本を買いがちで、それが読み終えられることもなく部屋に積まれている。

ここは退屈迎えに来て」を読んだ。短編集だが、一編目を読んだだけで、これは処分だと決めた。「東京」と「地方」みたいな話が私にはわからないのだ。東京が特別生きづらいとも生きやすいとも思ったことがないから(ただしうさぎ小屋のような家に莫大な家賃が発生するのは腹が立つ)。地方都市出身なのに、その鬱屈とか、窮屈さみたいなものがよくわからない。遊ぶなら東京が楽しいねくらい。たぶん、地元に友人が1人しかいないし、親も社交をきらうタイプで人間関係が発生しないことあたりに理由がありそうだ。東京にいても地元にいてもべつにしがらみがない。

いまは友人もいるし遊びに行くのも楽しいし引っ越したばかりだからしばらく東京にいるつもりだけど、もう少し歳を取ったら巨大な部屋に巨大な植物を置きたいからどこか地方に行くのもいいかもなと思っている。そうなっても、わたしは東京に特別な思いとかは抱かないと思う。こう言っておいて東京が〜とかネチネチ言いはじめたら笑ってください。あと、多分前回住んでいた家と街については一生ネチネチ未練を抱き続けると思います。