丁寧な暮らしについて

丁寧な暮らし ってみんなにバカにされてるけど、普通にめちゃくちゃいいと思う。

たぶん、丁寧な生活がバカにされてしまう理由は、みんなそれどころじゃないほどに忙しく、そういう暮らしをインターネットで公開している人は他人にたいして優越感を抱くためだと思われているからじゃないかという気がする。その気持ちもわかる。でも、社会で高く評価されること(年収とか肩書とかね)が最善とされる中で、ただ自分の生活をやりたい放題やってる人って、単に生活が大好きな人なんじゃないかな。生活をよくできた、生活の中で良いことがあった、そういうのが嬉しいから報告したいんじゃないのかな。という気がして、わたしは嫌いじゃない。

生活を満足いくまでやるって本当にいい。わたしは仕事をするために生活をしているのではなく、生活を豊かにする金欲しさに働いている、仕事が生活を無茶苦茶にしてしまったら本末転倒であると思って仕事を辞めた。

わたしは毎日風呂に入らないし部屋も高い頻度で荒れ果ててるけど、その状態はかなり不快だ。部屋を清潔に維持し、ちゃんと運動をして、湯船にゆっくり使って、お風呂上がりにストレッチとかして寝ると体も気持ちいいし、ちゃんとしたぞ という満足感が精神的にもよい。部屋が荒れて体が汚いと自分がカス野郎に思えてかなしくなる。

風呂に入る、部屋を清潔に保つ、などがクリアできたら、さらに一歩進んで、季節の食材で料理を作ったり季節の花を買ってみたり、植物を育ててそれぞれの時期に花が咲いたり落葉したりするのを楽しんだり、そういう余裕ができたらわたしは生きてて楽しくなれると思う。なぜなら、待つことはたのしいから。花が咲いて、散ったら、もう来年まで見られない。その時期しか食べられない食べ物は、時期が終わったらまた一年待たなきゃいけない。来年のために一年甲斐甲斐しく世話をして、また花が見れたらうれしいでしょう。タイムリーなことをするのが生活を楽しむコツな気がしてきた。

この考えが浮かんできたのは1ヶ月以上無職状態にあったからだと思う。働いているとき、とくに出社しているときは、それどころじゃなかった。人生がつまんなかったのは、仕事に埋め尽くされて、休みは疲労で寝てばかりで、たまに元気がある時に水面から顔出すみたいにしか余暇を楽しめなかったから。

絶対にこの先も在宅勤務以外では働きたくない。わたしは生活を楽しくしたい。たぶん、わたしは仕事がそんなに好きじゃないんだと思う。嫌いでは決してないし、楽しくて興奮する瞬間もあるけど、自分の生活を疎かにしてまで仕事に打ち込みたくない。とくに、犬がいるいま、早朝から夜中まで働いて犬を退屈させるようなことはしたくない。

この生活を楽しむという気持ちがあれば愚かな散財をしなくても毎日楽しく暮らせると思う。忘れない。愚かな散財は、たまにでよい。生活をじっくりやるだけで十分楽しい。それを忘れない。

偉そうなことを書いたけど今日お風呂入れませんでした。生活をちゃんとした上で、さらに楽しんでいる人 尊敬だぜ

仕事に夢中になって打ち込んでいる人 これもまた尊敬だぜ