自転車爆走

SNSを見ているとときどき現れる本人アイコンに実名、肩書付きのキラキラツイート、こわいです。

今日は自転車で20km走った。家にいたら不安に耐えられないと思ったので。都道420号をずっとまっすぐに走っていった。都道420号はかなりよい。渋い店が勢揃いだ。自転車屋、美容室、飲み屋、すべてが堂々として見えた。とくに中野の手前あたり(新中野か?)が好きだ。中野まで行くと栄えすぎ。栄えすぎず、地味すぎず、生活に根ざした店がある町が好きだ。

私って、質実剛健 みたいな人間になりたいかもしれない。自転車で走っていると頭の中がひまなのでいろんなことを考える。社会に重きを置くのではなく、生活に重きを置くことを忘れずにいこう、と思った。社会の中での立ち位置とかを考えず、己の暮らしを成立させるために働く。これがわたしには合っている。ただし、最低限しか仕事をしたくない、というわけではない。社会へのインパクトというものがよくわからないし、自分の仕事が社会の役に立って嬉しい という気持ちがまだよくわからない、というだけ(会社の上司やお客さんなどかかわった人に褒められるのは嬉しい)。仕事への興味関心が自分の中で閉じちゃっています。そのことに負い目や劣等感を感じないようにする、ということだ。生活の一部として、靴職人や庭師のように、仕事をしたい。

部屋のものを減らす

いつも部屋が散らかっている。整頓されている時間は儚い。苦しい。と思って大型書店へ行って整理整頓や片付け、掃除の本の棚へ向かった。

ふだん書店で生活コーナーみたいなところを見ることがなかったため、この世ではあらゆることが書籍になっているんだな。と思った。お金の管理の仕方。健康の管理の仕方。部屋の管理の仕方。たしかに、いままでなんとなくオリジナルのやり方で生活すべてを回していたけど、生活は複雑で、マニュアルが必要で、みなもっと早い段階でマニュアルに辿り着いていたのかもしれない。

ひとまずこんまりさんの本をサッと立ち読みして、ハードコアすぎておそれを成してもう少し軟派な本を買った。

「死んでも床にモノを置かない」というタイトル。こういう大袈裟な物言いは好きじゃないけど、内容に私にもできそうと思わせるところがあったので買った。この本の良いところはあれをせよこれをせよというよりも「これをしてはならない」というところに重点を置いているところだ。

この本をすごい速さで読破して、気づいたことがある。うちにはものが多すぎるのだ。ものが多すぎるゆえ、収納が窮屈になっており、そこにものを直す動作が困難で、ものを出しっぱなしにする。そして部屋が乱雑になる。乱雑に耐えかねた頃、収納家具にとりあえず放り込む。このループだった。

「片付けるための収納用品は買わない」という節が1番自分に刺さった。わたしはむやみに服を買っては、ハンガーラックや衣装ケースを増やしていた。収納用品を増やすのではなく物を減らすのだ!そしてただちにわたしはIKEAのいちばん大きな袋に服を詰めた。思い出の服も、高かった服も、着ないと思ったものはすべて。それを古着屋に持って行って二束三文で買い取ってもらった。

あんな重量の服を売ったにも関わらず、すこしもクローゼットはスッキリしたように思えない。ここからは大変な作業だ。わかりやすくいらない服を先に処分したのだから、あとは処分するのが惜しいようなものしか残っていない。しかし、無慈悲に、不要なものは処分するのだ。快適な暮らしを得るために。

服だけでなく本も処分したいと思い、ひとまずは一度も読んでいない本を全て読むことにした。わたしは空白の時間が生じたときや電車に長時間乗る前になんとなくで本を買いがちで、それが読み終えられることもなく部屋に積まれている。

ここは退屈迎えに来て」を読んだ。短編集だが、一編目を読んだだけで、これは処分だと決めた。「東京」と「地方」みたいな話が私にはわからないのだ。東京が特別生きづらいとも生きやすいとも思ったことがないから(ただしうさぎ小屋のような家に莫大な家賃が発生するのは腹が立つ)。地方都市出身なのに、その鬱屈とか、窮屈さみたいなものがよくわからない。遊ぶなら東京が楽しいねくらい。たぶん、地元に友人が1人しかいないし、親も社交をきらうタイプで人間関係が発生しないことあたりに理由がありそうだ。東京にいても地元にいてもべつにしがらみがない。

いまは友人もいるし遊びに行くのも楽しいし引っ越したばかりだからしばらく東京にいるつもりだけど、もう少し歳を取ったら巨大な部屋に巨大な植物を置きたいからどこか地方に行くのもいいかもなと思っている。そうなっても、わたしは東京に特別な思いとかは抱かないと思う。こう言っておいて東京が〜とかネチネチ言いはじめたら笑ってください。あと、多分前回住んでいた家と街については一生ネチネチ未練を抱き続けると思います。

 

丁寧な暮らしについて

丁寧な暮らし ってみんなにバカにされてるけど、普通にめちゃくちゃいいと思う。

たぶん、丁寧な生活がバカにされてしまう理由は、みんなそれどころじゃないほどに忙しく、そういう暮らしをインターネットで公開している人は他人にたいして優越感を抱くためだと思われているからじゃないかという気がする。その気持ちもわかる。でも、社会で高く評価されること(年収とか肩書とかね)が最善とされる中で、ただ自分の生活をやりたい放題やってる人って、単に生活が大好きな人なんじゃないかな。生活をよくできた、生活の中で良いことがあった、そういうのが嬉しいから報告したいんじゃないのかな。という気がして、わたしは嫌いじゃない。

生活を満足いくまでやるって本当にいい。わたしは仕事をするために生活をしているのではなく、生活を豊かにする金欲しさに働いている、仕事が生活を無茶苦茶にしてしまったら本末転倒であると思って仕事を辞めた。

わたしは毎日風呂に入らないし部屋も高い頻度で荒れ果ててるけど、その状態はかなり不快だ。部屋を清潔に維持し、ちゃんと運動をして、湯船にゆっくり使って、お風呂上がりにストレッチとかして寝ると体も気持ちいいし、ちゃんとしたぞ という満足感が精神的にもよい。部屋が荒れて体が汚いと自分がカス野郎に思えてかなしくなる。

風呂に入る、部屋を清潔に保つ、などがクリアできたら、さらに一歩進んで、季節の食材で料理を作ったり季節の花を買ってみたり、植物を育ててそれぞれの時期に花が咲いたり落葉したりするのを楽しんだり、そういう余裕ができたらわたしは生きてて楽しくなれると思う。なぜなら、待つことはたのしいから。花が咲いて、散ったら、もう来年まで見られない。その時期しか食べられない食べ物は、時期が終わったらまた一年待たなきゃいけない。来年のために一年甲斐甲斐しく世話をして、また花が見れたらうれしいでしょう。タイムリーなことをするのが生活を楽しむコツな気がしてきた。

この考えが浮かんできたのは1ヶ月以上無職状態にあったからだと思う。働いているとき、とくに出社しているときは、それどころじゃなかった。人生がつまんなかったのは、仕事に埋め尽くされて、休みは疲労で寝てばかりで、たまに元気がある時に水面から顔出すみたいにしか余暇を楽しめなかったから。

絶対にこの先も在宅勤務以外では働きたくない。わたしは生活を楽しくしたい。たぶん、わたしは仕事がそんなに好きじゃないんだと思う。嫌いでは決してないし、楽しくて興奮する瞬間もあるけど、自分の生活を疎かにしてまで仕事に打ち込みたくない。とくに、犬がいるいま、早朝から夜中まで働いて犬を退屈させるようなことはしたくない。

この生活を楽しむという気持ちがあれば愚かな散財をしなくても毎日楽しく暮らせると思う。忘れない。愚かな散財は、たまにでよい。生活をじっくりやるだけで十分楽しい。それを忘れない。

偉そうなことを書いたけど今日お風呂入れませんでした。生活をちゃんとした上で、さらに楽しんでいる人 尊敬だぜ

仕事に夢中になって打ち込んでいる人 これもまた尊敬だぜ

 

 

6/3

今日は植物店5店舗くらい回ってあじさいとジュエルオーキッドとフィットニアを買った。メルカリでリプサリスホリダも購入。

 

大切に育てるために、これまで枯らした植物を振り返ります。

アデニウムアラビカム

冬の水やりの頻度が高すぎて根腐れしてふかふかになってだめになりました。冬はほぼ断水で管理すべき。

・ジュエルオーキッド

おそらく、風通しが悪くこちらも根腐れと思われる。水が鉢底から流れるくらいあげていたけど、霧吹きでかけるくらいが良いらしい。

・カラテア

シンプルに水不足。ふだんあまり水がいらない植物ばかり育てていたのでそのくせでたまにしかあげなかったらカラカラになりました。

植物って長く育ててデカくなったり花が咲いたりするのが楽しい。今度ちゃんと管理できなかったらもう切花とかだけで我慢します。

 

犬がいて植物があってでかいスピーカーで音楽が聞けて最高の家だ。これ以上高望みをしすぎないことが肝要。でも、本当はお風呂に窓があって、寝室と食事の部屋が分かれている家に住みたいよ。

 

無職期間にやりたいこと

・犬とグランピング(確)

・自炊をたくさんする

→カレー、コールスロー、パン焼きを週一でやりたい

・葛西臨海水族館に行く

・動物園に行く(ズーラシア?)

・板橋熱帯植物園に行く

・統計の勉強進める まず大学の線形代数微分積分統計学をやりきる

・日記を書く

・部屋中にカーペットを敷き詰める

・読みやすめの小説を読む(果てしなき渇きがめちゃくちゃ面白くて良かったので)

・川辺でハンバーガーを食べる

・いろんな人に犬を会わせる

・ベランダに花を植える

 

 

引越します

明日、4年10ヶ月ほど住んだ家から引越します。

2018年3月末に進学を機に引っ越してきて、就職後も3年近く住んだ家を立ち去るのでナイーブになっている。家との思い出を書きます。

引越し直後、原付で渋谷に行ったらあまりの交通量に右折を焦って、横断歩行者妨害で反則金を徴収されたことをまず思い出した。これ以降、原付での外出は控える様になった。
学生時代はほとんど出かけることがなく、たまの外出は郵便局か銭湯だった。
家から淡島通りを進み環状七号線をぶっ飛ばし、提出ギリギリの書類を郵便局にぶちこみにいく、三軒茶屋の富士見湯でお風呂に入り、どない屋でふわふわのたこ焼きを買って帰る、などが定番だった。

2019年夏はZACのチーズケーキが気に入って、よく食べに行っていた(このときは2階は喫煙可能だったと思う)。大学がつらく、毎月かつかつなのにメキシコ雑貨屋で木の十字架を3000円出して買ったのを思い出した。特に救いなどは訪れなかった。

2019年秋には散歩が趣味で、毎日10キロほど歩いていた。中目黒のドンキホーテ、下高井戸の月見湯は定番の散歩の目的地だった。

私の部屋には東向きの大きな出窓があり、ウッドウィックの蝋燭が燃えるのをここに座ってじっと見ていたものだ。台風の日は斜向かいの中華料理屋の看板がいまにも外れそうなのをずっと監視したりもした。

大学院卒業まではあまり家にいることがなく思い出はこんなものだ。

2020年に就職してからは生活がかなり楽になったが、メンタルがおしまいだったのであまり記憶がない。このころからよく渋谷で遊んでいた気がする。初夏ごろから出勤となり、高校ぶりに電車移動を毎日するようになった。池ノ上駅を利用するようになってから、駅前のお店をよく利用するようになった。スリーコンカフェのホットドッグが好きだった。あまり回数は行けなかったがトネリコという料理屋が好きだった。お花屋さんが好きだった。

明確にいつからかは覚えていないが、客先常駐の仕事が終わり自社へ出社するようになってから、毎日バスを利用するようになった。この頃から淡島通りが大好きになった。特に松見坂のあたりは気になる店がたくさんあったが、結局どこにも行くことはなかった。もう、この先も行くタイミングはないんだろうなと思うと残念だ。

2022年から現在までずっと在宅勤務で家にいた。植物を買い集めるようになってからベランダにいる時間も増えた。家のとなりの犬のしつけ教室には毎日様々な犬がやってきて、可愛かった。毎日16時ごろ家の周囲を散歩している、歳をとって顔が白くなったフレンチブルドッグが好きだった。夜眠れずに朝になった時は松屋まで歩くのが好きだった。

私の家は交差点にあるので、毎晩信号機の赤・青が壁に反射して眩しかった。秋には街路樹が黄色くなって綺麗だったし、春には家の窓から桜の木が見えて、ベランダに花びらが落ちてきて掃除が大変だった。近所の緑道をなんども走った。友達が中目黒で働いているときはしょっちゅう自転車で遊びに行った。そういえば、三宿の中華料理屋に行きそびれたな。キッチンが廊下から独立してあるのが好きだった。ここでは数えきれないくらいタバコを吸った。すこし長い廊下でよく気絶した。この家にいる時間のうちほとんどは落ち込んでいるか狂っていたけれど、家自体に悪い思い出は全くない。犬が飼育できない以外に引っ越す理由はなにもなく、できればここで犬が飼いたかった。そこそこ便利な場所ではあるが、緑の多い住宅街で、あまり騒がしいようなこともなく、小さな店がたくさんあって大好きだった。もう、この家に入ることはできなくなり、知らない誰かが住むんだと思うと悲しい気持ちになる。

犬が来ました

このブログはこのエントリーを書くために作ったのだけど、思ったより早く投稿することになってびっくりだ。

犬が来ました。ペキニーズ、2022/8/22生まれ、名前は菅原文太からとって文にしました。

お前のような奴が犬を飼うなと言われそ〜と思って腰が重かったが記念だし記事を書く。

12/3に府中のペットショップに犬を見に行って、犬を見るだけのつもりだったのにクレジットカードを切っていた。スタンダードプードルに吠えつかれても気にしないでポテポテ歩いてる様と、ボケっとした顔つきと態度が気に入った。

12/8にうちに来る。ペットショップからの帰り道は正直不安でいっぱいだった。ハムスター以外の動物を飼ったことがないわたしに犬の飼い主が務まるのだろうか、自分の世話もままならないのに犬の世話ができるだろうか、と心がしなしなになった。

家について犬をクレートから出して、しょぼくれた顔を見てたらなんか大丈夫な気がしてきて、今のところ毎日楽しくやれている。

犬がいるとややこしいことをあまり考えなくて済むから良い。悩み事が犬が立ちションをすることや、私の足をあざだらけにすることくらいしか無くなった。(のちに広いサークルに買い替えたら立ちションはしなくなった。)

いまは犬と一緒に実家にいるが、1月に引っ越しをして3月ごろをめどに引っ越し先で暮らし始める予定でいる。犬が来たことによって生活圏まで一変した。あたらしい家の近くには激安の八百屋や小さい駅やしょぼいスーパーなどがあり楽しみ。

私はだらしがないし自分の生活も上手くできないし犬を幸福にしてやれるかと言われると自信を持ってハイとはいえないが、とにかくうまくやっていきたいし、両脇を撫でるとひっくり返る様子を見ていると楽しく暮らさせてやりたいと思う。犬が何をしたら楽しいのかはなかなかわからないが…